京都・方広寺、回廊延長を確認 明治期までの変遷判明

 京都市埋蔵文化財研究所は21日、豊臣秀吉が安土桃山時代に創建した方広寺の跡(東山区)から、大仏殿南回廊の柱の基底部分などを発見したと発表した。回廊跡は既に確認されていたが、現存する当時の絵図通り、東側に回廊が続いていたのを確認した。方広寺の境内の敷地内で、歴代天皇の位牌(いはい)を祭る施設「恭明宮」の跡も見つかった。

 方広寺は1588(天正16)年、秀吉の命で着工。秀吉の死後、秀頼の手で1614(慶長19)年に完成したが、1798(寛政10)年に落雷で焼失した。

 調査は昨年7月から行われ、今回は南回廊東側の柱跡も新たに4基発掘した。溝もいくつか見つかり、幅1・8メートル、深さ70センチの溝からは焼けた瓦が大量に出てきた。「98年に焼失した際、瓦を溝に集めて捨てられたのではないか」と研究所は説明する。

 1871(明治4)年に建てられた恭明宮の溝も確認した。恭明宮は明治維新で天皇が東京に移る際、歴代天皇の位牌を祭るために建てられた施設。天皇に同行しなかった女官の住居も兼ねていた。文献でも確認できる溝で、明治期のガラス瓶などが出てきた。

 現地説明会は23日午前10時-11時半。問い合わせは現場事務所(090・8206・8172)。

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京都・方広寺、回廊延長を確認 明治期までの変遷判明


京都市埋蔵文化財研究所は21日、豊臣秀頼が再建した方広寺大仏殿の回廊跡の延長部分や大量の瓦群が、東山区の京都国立博物館敷地内の発掘調査で見つかったと発表した。明治時代に歴代天皇の位牌(いはい)をまつった「恭明宮(きょうめいきゅう)」の遺構とみられる溝もあり、京博ができるまでの建物利用の変遷が確認された。

 調査地は、京博の明治古都館の北西付近。方広寺大仏殿の四方を囲った回廊の南側部分で柱の礎石を据え付けた穴が約16メートルにわたり、2列分見つかった。以前の調査で見つかった回廊跡から東側への延長とみられ、さらに東へ続くと考えられる。回廊の南側では、溝に大量の瓦が埋まっていた。1798年の落雷による大仏殿焼失後に捨てた瓦とみられる。

 1871年に建てられた恭明宮は73年に廃止され、後に帝国京都博物館(現在の京博)が跡地に建てられた。調査で見つかった幅2メートルの南北の溝は、恭明宮の敷地内を区切った遺構とみられる。明治古都館の中庭では石組みの溝も確認され、古地図に記された恭明宮の構造と一致した。

 現地説明会は23日午前10時-11時半。問い合わせは当日のみ現場携帯電話090(8206)8172。

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