京都で宇喜多直家の書状見つかる  城下町岡山

城下町岡山の基礎を築いた戦国武将宇喜多直家(1529?81年)の書状が23日までに京都府の旧家から発見された。美作地方の平定を目指し、毛利方としのぎを削った医王山城(津山市吉見)攻防戦の最中に出したものとみられ、策謀家として名高い直家の戦略を知る手掛かりになりそうだ。
 書状は一枚紙を半分に折って上下2面を使用しており、全体で縦26・2センチ、横38・8センチ。岡山にゆかりを持つ所蔵者から発見の知らせを受けた宇喜多家史談会理事の森俊弘・真庭市教委主幹が所在を確認。岡山県立博物館(岡山市北区後楽園)の内池英樹主幹とともに内容を調査してきた。
 宛名部分は切り取られ、年号も記されていないものの、直家の花押(サイン)が最晩年のものと一致。〈殊山佐与介被討捕候由、神妙之至候〉(特に山佐与介を討ち取ったことは神妙の至り)といった文面から、合戦での戦果報告に対する書状であることがうかがえ「直家の最後の出陣となった医王山城攻略戦(80年)の可能性が高い」(森氏)という。
 当時の同城は、美作地方における毛利方の要衝。同盟を結んだ羽柴秀吉の中国攻めに呼応して美作地方に進出した直家は自ら総勢を率い、約1年にわたって攻防を繰り返したものの攻め切れずに撤退、翌年に病死している。
 内池主幹によると、書状は一貫して丁寧な言葉遣いであり、宇喜多方として取り込んだ在地の国衆に宛てたとみられる。「戦功への称賛とその後の優遇に言及した上で、手勢の扱いなどの指示を要領よく伝えている。直家の巧みな人心掌握の一端がうかがえる」と話している。
 書状は3月下旬から岡山県立博物館で公開予定。